基本情報
日本基督教団成立(1941年6月)・太平洋戦争開戦(1941年12月8日)からいずれも数か月後に開催された総会。木口牧師による昭和16年度教情報告が残されており、戦時下の信仰共同体の実態を伝える貴重な記録である。
時代背景
1942年2月の時点で、遠軽教会はすでに日本基督教団への加入手続きを進めており、同月中に名称変更・主幹者届の手続きを完了している(正式認可は同年3月31日)。総会はまさにその手続きと並行して開催されており、教団への統合が既成事実として扱われていることが報告文から読み取れる。
また木口牧師はこの総会から約4か月後の1942年6月に旭川へ入隊・出征することになる。本総会は木口牧師在任中最後の定期総会となった。
昭和16年度 教情報告(木口牧師)
① 銃後の信仰生活
報告冒頭では、戦時下における会員の信仰姿勢が以下のように記されている。
「内外多事多難なる折柄、当教会員一同熱烈なる祈りを天父に献げ各自教会を中心に信仰を以てその職域奉公につとむ銃後の生産部門に携わる会員亦本年度は異常なる試練に遭遇せるも信もて克ち之に耐え、又第一線に其の子弟を送り真の平和確立の日を待ち望みつつ前線銃後一体となりて、祖国と神とに殉せんとす。」
「職域奉公」「銃後の生産部門」「前線銃後一体」といった戦時用語が信仰報告に織り込まれており、教会の言語空間が戦時体制に深く染まっていたことを示す。一方で「真の平和確立の日を待ち望みつつ」という表現には、キリスト者としての希望が辛うじて保たれていることも読み取れる。
② 日本基督教団への加入
報告では教団加入について次のように述べられている。
「本教会は又教界進展の気運にある日本基督教団に加入致し、遠軽教会と称す。依而祖国教化、神国到来のため一翼を張り其の信ずる所を益々堅うし之を直に実行に移して以て基督者たる本分をつくさんとす。」
「教界進展の気運」という表現で教団加入を肯定的に位置づけながら、「祖国教化」という国家への奉仕目標と「神国到来」という信仰的目標を並置している。国家への協力と信仰の維持という二重の課題を抱えた当時の教会指導者の苦衷が滲む。
③ 礼拝の精錬
報告では礼拝を重視する方針が明記され、聖日朝夕礼拝・家庭礼拝・家庭集会の実施が記録されている。戦時下の統制と圧力のなかでも、礼拝共同体としての教会の核心を守ろうとする姿勢が見られる。
木口正八郎牧師について
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1938年10月 | 滝川教会より遠軽教会に赴任 |
| 1942年2月 | 第38回定期総会で教情報告(本史料) |
| 1942年6月 | 旭川入隊・戦地へ出征 |
| 戦後 | 牧師には復帰せず、政治運動へ(「日本革新党」) |
▲ 木口正八郎牧師の略歴
木口牧師の出征後、遠軽教会は約2年間の無牧師時代に入る。礼拝もままならない状況が続き、会堂徴用の依頼を断ったことで町中から非難を受けるなど、迫害的状況が続いた(史料17参照)。
史料的意義
▶ まとめ
- 日本基督教団成立後初の定期総会の記録として、統合直後の教会の実態を伝える
- 「職域奉公」「銃後一体」など戦時語彙が信仰報告に混入しており、教会言語の戦時化を示す一次資料である
- 教団加入を「教界進展の気運」と表現する一方で信仰の核心を守ろうとする姿勢に、戦時下の教会指導者の葛藤が読み取れる
- 報告者・木口牧師がこの総会から数か月後に出征するという事実が、教会と戦争の距離の近さを物語る