【史料18】出征会員の記録と昭和19年度教情報告——遠軽教会員が歩んだ戦場への道
本史料は、遠軽教会の会員が1932年から1942年にかけて次々と出征・応召した記録(週報と青年会記録より)と、昭和19年(1944年)上半期教情報告の2点からなる。個人名・部隊名・帰還・負傷・戦死という具体的な記録は、戦争が教会共同体の日常のなかにどれほど深く入り
本史料は、遠軽教会の会員が1932年から1942年にかけて次々と出征・応召した記録(週報と青年会記録より)と、昭和19年(1944年)上半期教情報告の2点からなる。個人名・部隊名・帰還・負傷・戦死という具体的な記録は、戦争が教会共同体の日常のなかにどれほど深く入り
本史料は、遠軽教会が運営した託児所(簡易保育所)の記録と、無牧師時代に起きた会堂徴用問題の記録である。「銃後奉仕のため」開設された託児所は、無牧師・会堂徴用・防空壕建設という戦時下の困難を乗り越えながら敗戦まで運営された。一方、会堂の使用を求める警防団の要求を断っ
本史料は、遠軽教会の鐘にまつわる記録である。1924年に宣教師から贈られ、火災で失われ鋳なおされた鐘は、1942年のクリスマス礼拝を最後に国に献納された。「鉄瓶や弁当箱と一緒に日米戦に参加して出陣した」と1952年の教会月報は記している。信仰の象徴が戦争に動員され
本史料は、1941年から1942年にかけて遠軽教会で記録された諸集会の資料群である。山下操六氏帰還歓迎集会・農村思想経済問題対策協議会・満州伝道者による講演会・伝道講演会など、教会の集会活動が戦時体制と深く絡み合っていた実態を示す。また伊藤馨氏の逮捕(ホーリネス系
本史料は、1938年から1940年にかけて遠軽教会で開催された諸集会の記録である。講演会・修養会・伝道集会といった教会の集会活動が、戦時体制の深化とともに「国民精神の聖化」「銃後奉仕」「時局への対応」という色彩を帯びていった過程を示す。礼拝の戦時化(史料06〜13
本史料は、1944年(昭和19年)4月9日付の遠軽教会週報(第一号)である。約2年間の無牧師時代を経て南義子牧師が就任した直後の週報にあたり、礼拝の最初に「国民儀礼」という欄が印刷されている。これ以前の週報では特別な記念日以外に国民儀礼が記されていなかったことと比
本史料は、1942年(昭和17年)3月8日に行われた「大詔奉戴礼拝式」の週報と、受難週に関する中会からの通達の2点である。12月8日の開戦記念日を毎月の月例行事として礼拝に組み込む「大詔奉戴日」の制度化と、キリスト教の最重要節期である受難週が戦時色に染められていっ
本史料は、1942年(昭和17年)元旦礼拝・初週祈祷会の週報と、年頭・初週祈祷会要綱(滝川資料)の2点である。太平洋戦争開戦からわずか3週間後の新年礼拝として、皇居遙拝・国歌斉唱・黙祷の国民儀礼が定着していたことが確認できる。またクリスマス・元旦礼拝での特別献金を
本史料は、太平洋戦争開戦(1941年12月8日)直後に発せられた文部省訓令(左)と、日本基督教団統理・富田満による指達文(右)の2点である。滝川教会に保存されていた資料(滝川資料)として紹介される。国家と教団の双方から各教会への動員命令が同時に発せられた実態を示す
本史料は、1941年(昭和16年)12月14日に行われた「大東亜戦々勝祈願特別礼拝式」の週報である。真珠湾攻撃(12月8日)からわずか一週間後に開催されたこの礼拝は、遠軽教会の礼拝が戦争協力の場として最も鮮明に機能した記録である。日の丸の掲揚・文部省訓令文朗読・日