遠軽教会

【史料15】諸集会の戦時化(1941〜1942年)——帰還歓迎集会・農村協議会・伝道講演会と弾圧の記録



本史料は、1941年から1942年にかけて遠軽教会で記録された諸集会の資料群である。山下操六氏帰還歓迎集会・農村思想経済問題対策協議会・満州伝道者による講演会・伝道講演会など、教会の集会活動が戦時体制と深く絡み合っていた実態を示す。また伊藤馨氏の逮捕(ホーリネス系への一斉弾圧)という、キリスト教への直接的な国家弾圧の記録も含まれている。

基本情報

資料種別:諸集会記録(週報・青年会記録より)
対象期間:1941年(昭和16年)〜1942年(昭和17年)
収録集会数:6件+弾圧事件1件

週報および青年会記録に残された諸集会の記録をまとめた資料。太平洋戦争開戦(1941年12月)前後の時期にあたり、集会の戦時化がより鮮明になるとともに、国家によるキリスト教弾圧という新たな局面も記録されている。

時代背景

1941年は日本基督教団の成立(6月)と太平洋戦争の開戦(12月8日)という二つの大きな転換点があった年である。教会の集会活動も、戦局の進展とともに「銃後奉仕」「報国」という色彩をさらに強めていった。一方でこの時期、ホーリネス系教会への国家弾圧が始まり、キリスト教信仰そのものへの直接的な圧迫も現実のものとなっていった。

各集会の記録

① 山下操六氏帰還歓迎諸集会(1941年2月15〜17日)

日付:1941年(昭和16年)2月15〜17日
対象:山下操六氏(元遠軽教会牧師・帰還将校)
形式:礼拝・座談会・家庭集会・小学校講演会(北海道巡礼伝道旅行の一環)

1938年夏に応召し、北支派遣部隊(前田治部隊見城部隊・田口隊)で歩兵少尉として戦闘・宣撫工作・治安工作に従事した山下操六氏の帰還を歓迎する集会。1939年6月に負傷(胸部骨折)、1940年2月に復帰、同年3月に中尉昇格、12月末に名誉の帰還を果たした。

集会は礼拝・座談会・家庭集会にとどまらず小学校での講演会も開催された。翌週報には「山下先生による集会は、各会とも非常に恵まれたるものなりき。これにて教会員は益々一致結束以て銃後の精神、報国の誠を完うせんことを期す」と報告されている。山下氏はその後同年6月に満州吉林教会牧師に就任し、1946年10月に帰還した。

② 農村思想経済問題対策協議会(1941年4月9日)

日付:1941年(昭和16年)4月9日
参加者:会員有志・町長・産業総会長・農会長・牧師等40名余り
目的:銃後農村思想強化・生産拡張のための協議

遠軽教会の牧師・会員が、町長・産業総会長・農会長という地域の行政・産業団体の責任者と合同で開催した協議会。「銃後農村思想強化」「生産拡張」という戦時的目標のもとで教会が地域の戦時動員体制に参加していたことを示す。教会が宗教活動の枠を超えて地域行政・産業と一体化していた実態が読み取れる。

③ 福井次郎氏 特別伝道集会(1941年8月16日)

日付:1941年(昭和16年)8月16日
講師:福井次郎氏(満州熱河省伝道者)
形式:特別伝道集会(講演会)
参加者:会衆50名(青年会記録)

週報案内には「支那熱河に於いて支那人に伝道しつつある特志の方」と紹介されており、青年会記録には「満州熱河省伝道者福井次郎氏を迎えて講演会を催す。熱烈なる支那の伝道者に胸うたるるものありたり。会衆五十名」と記録されている。満州・中国大陸での伝道活動が、日本軍の占領地域における「支那伝道」として教会内で報告された。

④ 小野村林蔵氏 講演会・礼拝(1941年8月15〜16日、1942年4月18〜19日)

日付:1941年8月15〜16日、1942年4月18〜19日(2回来遠)
講師:小野村林蔵氏(教団北海教区長)
形式:講演会・礼拝

教団北海教区長(史料01参照)として遠軽教会創立会にも出席した小野村氏が2度にわたって来遠し講演会・礼拝を開催。教団中央と地方教会の連絡・指導という役割を担っていた。

⑤ 佐波亘氏 伝道講演会(1942年6月16日)

日付:1942年(昭和17年)6月16日
講師:佐波亘氏
演題:「信仰と実践」
形式:伝道講演会

木口牧師が出征する直前の時期(木口牧師の出征は1942年6月)に開催された伝道講演会。「信仰と実践」という演題は戦時下における信仰者の使命を問うものであったと考えられる。

⑥ 伊藤馨氏 伝道講演会(1942年6月21日)——そして逮捕へ

日付:1942年(昭和17年)6月21日
講師:伊藤馨氏
形式:伝道講演会
重要:6月26日、旭川巡回中に逮捕(ホーリネス系への一斉弾圧)

遠軽教会での伝道講演会からわずか5日後、伊藤馨氏は旭川巡回中に逮捕された。これはホーリネス系教会への国家による一斉弾圧の一環であった。キリスト教の終末論的信仰が「天皇制と相容れない」として治安当局に問題視され、ホーリネス系の牧師・信徒が全国規模で検挙された事件である。

1942年6月以降——無牧師時代へ

1942年6月に木口牧師が出征したことで、遠軽教会は無牧師時代に入った。礼拝も困難となり、月一回の礼拝にまで縮小された。伊藤馨氏の逮捕(6月26日)はこの時期と重なっており、教会が牧師の不在と国家弾圧という二重の困難に直面した時期であった。

史料14との比較——集会の戦時化の深まり

時期 集会の特徴 戦時色の度合い
1938〜1940年(史料14) 講演会・修養会中心。演題が戦時化 演題・献金の転用
1941〜1942年(本史料) 帰還将校歓迎・行政との合同協議会・弾圧事件 教会が地域行政と一体化。弾圧が現実に

▲ 諸集会の戦時化の段階的深まり

史料的意義

▶ まとめ

  • 農村思想経済問題対策協議会への参加は、教会が地域の戦時動員体制に組み込まれたことを示す典型例である
  • 帰還将校の歓迎集会報告に「銃後の精神、報国の誠を完うせんことを期す」と記されたことは、教会共同体が戦時動員の言語を内面化していたことを示す
  • 伊藤馨氏の逮捕は、国家によるキリスト教弾圧が遠軽教会の目の前で起きたことを示す重要な記録である
  • 1942年6月以降の月一回礼拝という状況は、牧師の出征・弾圧・無牧師という三重の困難が重なった時期を示す

松本

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