基本情報
週報と青年会記録に記された会員の出征・応召・帰還・負傷・戦死の記録。個人名・入隊日・部隊名・その後の消息が詳細に記されており、教会共同体が戦争とともに生きた10年間の記録である。
1944年上半期の教会の状況を報告した文書。応召者(すまひ願を向援橋加御祈たの兄諸召応)の一覧・転居・病気・伝道地等の情報が記されている。
時代背景
1932年の満州事変に始まり、1937年の日中戦争、1941年の太平洋戦争へと戦線が拡大するなかで、遠軽教会の会員も次々と召集・出征した。小さな地方教会の会員名簿が、そのまま出征者名簿となっていった10年間の記録である。
出征会員の記録(1932〜1942年)
① 1932〜1936年——満州事変から日中戦争前夜
| 日付 | 氏名 | 所属・行先 | その後 |
|---|---|---|---|
| 1932.9.26 | 須藤操 | 北満出動部隊 | 出征 |
| 1933.1.20 | 谷津四郎 | 旭川27連隊入隊 | 1936.3.7 渡満 |
| 1936.1.9 | 鈴木作太郎 | 旭川歩兵第27連隊入営 | 1940.12帰還。1941.2脊椎カリエスのため入院 |
| 1936.7.20 | 星野勲 | 27連隊より除隊 | 1939.8.9 腎臓病のため逝去 |
▲ 1932〜1936年の出征会員
② 1937〜1938年——日中戦争期
| 日付 | 氏名 | 所属・行先 | その後 |
|---|---|---|---|
| 1937.1.8 | 鏡愛蔵 | 旭川歩兵27連隊入隊 | 1940.7 帰還 |
| 1937.8.2 | 海野政太郎 | 出征 | 1939.3.12 凱旋 |
| 1937.10.12 | 鈴木美典 | 支那事変のため出征 | —— |
| 1937.12.27 | 森由夫 | 立川飛行隊入隊 | 翌年 腸チフス・肺炎重篤で天津陸軍病院入院(7月には回復) |
| 1938.9.12 | 高島丈雄・春雄、鈴木作太郎 | 応召出征 | 1940 皆帰還。1941.3 丈雄氏は急病で逝去 |
| 1938.11.10 | 秋葉道夫 | 応召出征 | —— |
| 1938.11.11 | 樋口武夫 | 応召出征 | —— |
| 1938.11.16 | 菊地七郎、澤田信一、大江喜一等 | 歓送会 | 菊地:1944.10.25戦死。澤田:仏印、1941.4帰還 |
| 1938.12.18 | 秋保克己 | 戦地より便りあり | —— |
▲ 1937〜1938年の出征会員
③ 1939〜1942年——太平洋戦争へ
| 日付 | 氏名 | 所属・行先 | その後 |
|---|---|---|---|
| 1939.1.6 | 菊地七郎 | 横須賀海兵隊入隊。5.15 駆逐艦「山雲」乗艦 | 1944.10 レイテ海戦で沈没。戦死 |
| 1939.11.25 | 佐藤光男、鏡正八、和田七郎 | 送別会 | 和田:1940.2 帰還 |
| 1940.2.24 | 高島操、鏡武夫 | 入隊(北支派遣部隊) | —— |
| 1941.1.9 | 内野幸二 | 出征 | 9月 脚気症で入院 |
| 1941.4.13 | 和田七郎 | 再召集。支那民衆の医療に当たる | —— |
| 1942.3.1 | 鏡藤雄 | 入営 | —— |
▲ 1939〜1942年の出征会員
菊地七郎氏——レイテ海戦での戦死
出征会員の中でも、菊地七郎氏の記録は特に詳細に残されている。
遠軽教会での歓送会から5年後、菊地氏は1944年10月25日のレイテ海戦において乗艦・駆逐艦「山雲」の沈没により戦死した。週報と青年会記録に詳細な経緯が記録されており、一人の教会員の出征から戦死までが追跡できる貴重な記録となっている。
昭和19年(1944年)上半期教情報告
1944年上半期の教情報告には、当時の会員の状況が以下の区分で記録されている。
| 区分 | 記録内容 |
|---|---|
| 応召(すまひ願を向援橋加御祈たの兄諸召応) | 秋山・野地・村山・菊地・和田・高島・佐藤・全・鏡・全・高嶋・全・奥山・柏倉・小山・全・藤雄・奥山・芦川・谷津・奥山 各兄(各氏の派遣先部隊名を記載) |
| 転居 | 柳葉・橘正夫姉(転住先・向野上に居住) |
| 病気 | 内野幸二姉(なかく病床にあれます九御加禱) |
| 出張伝道地・報国のまことを致されん | 会員消息・少数の住人会を続けて居ります |
| 末尾 | 収穫感謝礼拝(十一月三十日)正午より牧師館にて。北海教派遣の岸本牧師来後の好様に総員御参加下さい。東面よりえ了ご。全員御参加下さい |
▲ 昭和19年上半期教情報告の主な内容
報告書には20名を超える会員の名前と派遣先部隊が記されており、1944年の時点で教会員の大多数が戦地に送られていたことが読み取れる。残された会員は「少数の住人」として礼拝を続けていた。
史料的意義
▶ まとめ
- 1932年から1942年にかけての出征記録は、満州事変から太平洋戦争まで10年にわたって教会員が次々と召集された実態を個人名で示す
- 菊地七郎氏のレイテ海戦での戦死という記録は、一人の教会員の出征から戦死までを追跡できる貴重な一次資料である
- 昭和19年教情報告に20名超の応召者が記録されていることは、1944年の時点で教会共同体そのものが戦争によって空洞化していたことを示す
- 負傷・病気・戦死という個人の記録を通じて、戦争が数字ではなく人名として教会の記録に刻まれたことの史料的重みは計り知れない