遠軽教会

【史料16】教会の鐘の献納(1942年)——ピアソン宣教師の贈り物が「日米戦に出陣」するまで



本史料は、遠軽教会の鐘にまつわる記録である。1924年に宣教師から贈られ、火災で失われ鋳なおされた鐘は、1942年のクリスマス礼拝を最後に国に献納された。「鉄瓶や弁当箱と一緒に日米戦に参加して出陣した」と1952年の教会月報は記している。信仰の象徴が戦争に動員された事実と、1954年に新しい鐘が据え付けられ現在も広島・長崎原爆投下の日時に合わせて打鐘されていることが、この史料に凝縮されている。

基本情報

資料名:教会の鐘に関する記録
関連資料:献納品伝票・当時の新聞記事・1952年教会月報・1954年写真
対象期間:1924年〜現在
種別:教会史記録・献納記録

遠軽教会の鐘の来歴・献納・再建を記録した資料群。献納品伝票(昭和17年)・当時の新聞記事・1952年教会月報の記述・1954年の新しい鐘を囲む写真が含まれている。

教会の鐘の歴史

年月 出来事
1924年11月 教会独立記念にピアソン宣教師より贈られる
1931年3月 火事により会堂・牧師館全焼。鐘も焼失
1932年3月 現会堂完成
1935年12月 火災で焼けた鐘を鋳なおし、据付
1942年2月 小会で鐘を献納することを決議
1942年12月 クリスマス礼拝を最後に屑鉄等と併せて国に献納
1954年2月 新しい鐘を据付(教会独立50周年記念)
現在 毎主日礼拝の開始を告げるほか、広島・長崎原爆投下日時に合わせて打鐘

▲ 遠軽教会の鐘の来歴

1942年2月——献納の決議

1942年2月の小会(教会の意思決定機関)で、鐘を国に献納することが決議された。決議の文言は以下の通りである。

「国防必死の折柄教会としても何らかの奉仕を・・・会員はその精神の具体的表れとして銅鉄回収運動を開始す事を決す」

「国防必死の折柄」という言葉は、太平洋戦争開戦(1941年12月8日)からわずか2か月後という時期の緊迫感を反映している。銅鉄回収運動は国家の金属資源回収政策の一環であり、遠軽教会は教会の意思として鐘の献納を決議した。

1942年12月——クリスマス礼拝を最後に

鐘はクリスマス礼拝(1942年12月)を最後に国に献納された。1952年の教会月報には、その記憶がこう記されている。

「その美しい音が四隣に及んでいた教会の鐘は、鉄瓶や弁当箱と一緒に日米戦に参加して出陣したのは昭和十七年であった。恐らくどこかで無慙な最後を遂げたことであろう。」

——1952年 教会月報より

「鉄瓶や弁当箱と一緒に」という表現は、信仰の象徴であった鐘が日用品と同列の金属資源として回収されたことへの、静かな悼みを伝える。「無慙な最後を遂げた」という言葉には、10年後に振り返った教会員の深い後悔が滲んでいる。

クリスマス礼拝という、キリストの降誕を祝う最も喜びに満ちた礼拝の日が、鐘との最後の時となったことも象徴的である。

献納品伝票の記録

昭和17年(1942年)の献納品伝票には、鐘の重量・献納先等が記録されており、正式な行政手続きとして献納が行われたことを示す。献納品目には鐘のほか屑鉄等が含まれており、合計重量が記載されている。

1954年——新しい鐘、そして現在

戦後9年を経た1954年2月、教会独立50周年の記念として新しい鐘が据え付けられた。1954年2月28日に撮影された写真には、新しい鐘を囲む教会員の姿が記録されている。

現在この鐘は毎主日礼拝の開始を告げるほか、広島・長崎への原爆投下の日時に合わせて打鐘されている。1942年に献納された鐘が「日米戦に出陣」した歴史を記憶しながら、平和への祈りとして鳴らし続けているのである。

史料的意義

▶ まとめ

  • ピアソン宣教師から贈られた鐘の献納は、宣教の象徴が戦争に動員されたことを具体的かつ視覚的に示す記録である
  • 「鉄瓶や弁当箱と一緒に出陣」という1952年の記述は、10年後に教会が自らの戦時協力を振り返った悔恨の証言として重要な史料価値を持つ
  • クリスマス礼拝を最後の打鐘とした事実は、最も聖なる日に信仰の象徴を失ったという重い歴史的意味を持つ
  • 現在、広島・長崎の原爆投下日時に合わせて打鐘していることは、戦争への加担の歴史を記憶し平和を祈り続ける教会の姿勢を示している

松本

テキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキスト

カテゴリー
TOP