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資料・伊勢神宮の歴史

本資料は、伊勢神宮が明治維新から現代に至るまでどのように変容させられてきたかを論じた史料解説である。地域の一神社であった伊勢神宮が国家権力によって国家神道の中核へと変容させられた過程、敗戦・神道指令による転換、そして戦後も継続する政教分離の曖昧さという三つの時期を通じて、宗教と国家の関係を問い直す。

基本情報

資料名:伊勢神宮の歴史——伊勢神宮から政教分離を見る
対象期間:明治維新(1868年)〜2019年
主要参考文献:ジョン・ブリーン著『神都物語 伊勢神宮の近現代史』(吉川弘文館 2015年)
種別:史料解説・論考

伊勢神宮の近現代史を三つの時期に分けて概観する。第一に明治維新後の変容、第二に1945年敗戦と神道指令による転換、第三に2013年第62回式年遷宮以降の現代的状況を論じる。

三つの転換期

第一期:明治維新(1868年〜)庶民の聖地から国家神道の中核へ第二期:敗戦・神道指令(1945年〜)国家との関係の名目上の断絶と実質的継続第三期:第62回式年遷宮以降(2013年〜)「神宮非宗教論」の市民的定着と政教連携

Ⅰ.明治維新後の伊勢神宮

① 天皇と伊勢神宮——参拝の政治的意味

7世紀から19世紀まで、歴代天皇は一度も伊勢神宮を参拝していなかった。天皇が初めて伊勢神宮を参拝したのは1869年の明治天皇によるものであり、これが近代天皇と神宮の関係の始まりとなった。この参拝は16歳の明治天皇が自らの意思で行ったものではなく、維新政府の中枢——岩倉具視・木戸孝允・亀井玆監・福羽美静——の主導によるものであった。

参拝の目的は単なる祈りではなく、天照大神を祖先神とする天皇が「時間と空間を超越した神聖な存在」であることを神話に則って体現させることにあった。記紀神話を権威づけの道具として活用し、王政復古の正統性を確立するための政治的行為であった。

② 国家管理の制度化

維新政府は伊勢神宮を次々と国家機関の管理下に置いた。

管轄機関
1869年 神祇官
1871年 神祇省
1872年 教部省
1877年以降 内務省(終戦まで)

▲ 伊勢神宮の国家管理機関の変遷

国家が一貫して経済的に優遇したのは靖国神社と伊勢神宮だけであった。管理下に入ると同時に、内宮神職・浦田長民の主導のもと大規模な改革が行われた。周辺の仏教施設の取り壊し・僧侶の追放・神仏分離令の全国展開、御師制度の廃止、宮司の世襲廃止と政府任命制への移行、祭儀への元始祭・祈念祭・新嘗祭・天長節祭・紀元節祭の追加などが実施された。

③ 国家儀礼となった式年遷宮

式年遷宮 参列者
1889年 三重県知事のみ
1909年 内務大臣・神社局長
1929年 内閣総理大臣浜口雄幸・内務大臣・宮内大臣・枢密院議長・衆参議長・陸海軍大将総代・歩兵一個大隊300名

▲ 式年遷宮参列者の変遷——国家儀礼化の過程

④ 美濃ミッション事件——信教の自由への圧迫

国民にとっての伊勢神宮参拝は小学校教育を通じて「義務と名誉」として教化された。この状況のなかで起きたのが美濃ミッション事件(1929〜1930年・1933年)である。

第一回(1929〜1930年):大垣市内の神社参拝拒否事件
第二回(1933年):伊勢神宮参拝旅行拒否事件

美濃ミッションに属する生徒が学校行事としての神社参拝・伊勢神宮参拝旅行を拒否したことが「非国民教育」として市議会で問題化。参拝拒否の弟妹まで含めて無期限停学処分となり、軍や政治家を巻き込んだ全国的な排斥運動へと発展した。

この事件に際して、日本キリスト教会の牧師らは神社参拝を容認する声明を発表した。伊勢神宮への参拝が臣民の当然の義務として根深く定着していたこと、それを拒否する者への社会的排斥に対してキリスト教会もまた怯えていた実態を示す事例である。

Ⅱ.神道指令と伊勢神宮(1945年以降)

① 神道指令による転換

1945年12月15日にGHQが公布した「神道指令」は国家神道を解体することを目的とし、伊勢神宮は「宗教法人神社本庁」の本宗として法的位置づけを変えた。日本国憲法第20条3項の政教分離原則および第89条の公金支出禁止により、国からの特権的地位を名目上は失った。

しかし神社界は「神宮の本来の意義は民衆の信仰の対象というよりは、むしろ皇室の大廟である」としてGHQ宗教行政顧問の岸本英夫に申し入れ、実質的な公的性格の維持を図った。宗教法人として生き残る道を選びながらも、「大廟」としての意識を保持し続けた。

② 戦後も継続した公的性格

事象 内容
神宮規則 大宮司の選任に勅裁(天皇による採決)を必要とする規定を維持
祭主 戦前同様、皇族であることを明記
境内地 GHQが74,644ヘクタールを国立公園として指定(異例の便宜)
祭儀 戦前と全く同じ祭儀を踏襲

▲ 神道指令後も維持された公的性格

③ 国有化への試みと首相参拝の定着

1956年の宗教法人審議会では、神宮司庁・神社本庁が「神宮の脱宗教法人化・国有化」を求める四項目の要求を政府に提出した。天皇の神宮参拝を国事行為とすること、伊勢神宮の施設・敷地を皇室用国家財産として認めることなどが求められたが実現しなかった。

一方で首相の年頭伊勢神宮参拝は定着化していった。1955年鳩山一郎以降の首相参拝は、1965年佐藤栄作以降、毎年の年頭参拝として恒例化した。1960年の池田勇人首相への質問主意書に対する答弁では、八咫鏡の公的性格が事実上公認されるという重大な先例が作られた。

Ⅲ.2013年第62回式年遷宮以降

① G7伊勢・志摩サミット(2016年)

2016年5月のG7伊勢・志摩サミットにおいて、安倍首相は各国首脳を伊勢神宮に案内した。「日本の精神性に触れるには大変良い場所だ」との説明のもと、各国首脳は通常一般参詣客が入ることのできない「御垣内」まで案内された。伊勢神宮を「宗教法人」としてではなく「日本の文化・伝統」として世界に紹介したこの行為は、神社非宗教・習俗化論を世界規模で宣伝する効果を持った。

② 観光における政教連携

訪日外国人観光客の増加とともに、神社仏閣等の宗教施設への公金援助を求める事例が増加した。「パワースポット」などの触れ込みで宗教的要素を前面に出さず「非宗教」であるかのように自治体の関与を進める動きが随所に見られる。

③ 革新野党代表らによる参拝(2019年)

2019年1月4日、立憲民主党の枝野幸男代表・福山哲郎幹事長・蓮舫副代表らが伊勢神宮を集団参拝した。党の公式ブログに「1年の無事と平安を祈願しました」と掲載し、枝野代表は「大変すがすがしい気持ちになりました」と感想を述べた。リベラル層においても「靖国は問題だが伊勢は当然」という意識が定着していることを示す事例である。

遠軽教会史料との関係

本資料が論じる伊勢神宮の国家管理・国民への教化という歴史は、遠軽教会の史料群(史料01〜18)が記録する戦時下の教会への統制と深く連動している。

伊勢神宮史 遠軽教会史
宗教団体法(1939年)による統制 史料01・02:富田満書簡・宗教団体法
国民儀礼の強制(皇居遙拝・国歌斉唱) 史料06〜13:礼拝への国民儀礼導入
美濃ミッション事件——参拝拒否への弾圧 史料17:会堂徴用拒否による迫害
神社参拝の義務化と信教の自由の圧迫 史料18:出征会員・弾圧下の教会共同体

▲ 伊勢神宮史と遠軽教会史の対照

史料的意義

▶ まとめ

  • 明治維新から現代まで、伊勢神宮の「非宗教」論は一貫して国家と神社界によって維持・強化されてきた
  • 美濃ミッション事件は、信教の自由が国家的宗教圧力によって侵害された戦前の典型例であり、遠軽教会への迫害と同一の構造を持つ
  • 神道指令後も天皇・首相・国会議員の参拝が継続したことは、名目上の政教分離と実質的な政教連携の並存という戦後日本の構造的問題を示す
  • G7サミットでの各国首脳の伊勢参拝・野党代表の年頭参拝は、政教分離の形骸化が与野党・国内外を問わず進んでいることを示す現代的問題である
  • 本資料は遠軽教会史料群(史料01〜18)が記録する戦時下の教会統制を、より広い国家神道体制の文脈に位置づけるための重要な補助資料となる

菊地純子

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