「陸上自衛隊健軍駐屯地への長射程ミサイル配備計画——熊本・職住近接の現実と市民の抵抗」
本資料は、九州中会教師・冨永憲司氏による現地レポートである。陸上自衛隊健軍駐屯地(熊本市)への長射程ミサイル配備計画を、「軍都」熊本の歴史的背景・住宅街と隣接する駐屯地の実態・市民による抗議行動という三つの視点から報告する。防衛の「西方シフト」が進むなかで、住宅・学校・病院が密集
本資料は、九州中会教師・冨永憲司氏による現地レポートである。陸上自衛隊健軍駐屯地(熊本市)への長射程ミサイル配備計画を、「軍都」熊本の歴史的背景・住宅街と隣接する駐屯地の実態・市民による抗議行動という三つの視点から報告する。防衛の「西方シフト」が進むなかで、住宅・学校・病院が密集
本資料は、伊勢神宮が明治維新から現代に至るまでどのように変容させられてきたかを論じた史料解説である。地域の一神社であった伊勢神宮が国家権力によって国家神道の中核へと変容させられた過程、敗戦・神道指令による転換、そして戦後も継続する政教分離の曖昧さという三つの時期を通じて、宗教と国
本資料は、戦時下における遠軽教会の歩みを記録した一連の史料群の導入にあたる。1940年の富田満書簡(同意書提出依頼)を「はじまりの一枚」として、宗教団体法の成立・施行から日本基督教団への統合、そして遠軽教会の名称変更・認可に至るまでの経緯を時系列で示す(発表資料1)。
本史料は、1939年4月7日に成立した宗教団体法の法令原文である。全33条と附則からなるこの法律は、国家が宗教団体を法的に管理・統制するための根拠法となった。遠軽教会をはじめ、日本全国のキリスト教会・仏教寺院・神道教派が否応なくこの法の支配下に置かれた(発表資料2)。
本史料は、1941年6月に成立した日本基督教団の「第一部」(旧日本基督教会系)が発行した機関誌の創刊号と、教団全体の機関誌「教団時報」第六号である。太平洋戦争開戦直後の1942年1月に発行され、戦時事務局からの示達・各教会への財務報告・日曜学校情報などを収録する。教会組織が戦時体
本史料は、1942年2月1日に開催された遠軽教会第38回定期総会の記録である。日本基督教団成立後、初めての定期総会にあたり、木口正八郎牧師による昭和16年度教情報告が読み上げられた。銃後の信仰生活・戦地への子弟の送出・日本基督教団への加入という三つの現実が、一枚の教会記録に凝縮されている
本史料は、遠軽教会の歴代牧師の在任期間と、同時代の主な出来事を対照させた一覧資料である。1922年から1955年にかけての牧師交代の記録は、宗教団体法の成立・日本基督教団への統合・太平洋戦争・敗戦という激動の時代と教会の歩みを重ね合わせて読むことができる(発表資料5)。
本史料は、1939年(昭和14年)1月1日に行われた遠軽教会の元旦礼拝・初週祈祷会の週報である。この週報は「国民儀礼が礼拝式に入れられた最初の週報」として記録されており、皇居遙拝・国歌斉唱・黙祷が礼拝の冒頭に組み込まれた歴史的な転換点を示す一次資料である(発表資料6)。
本史料は、1940年(昭和15年)の遠軽教会週報2点である。2月11日の紀元節礼拝と、7月7日の支那事変勃発五周年記念日の礼拝を記録する。皇居遙拝・国歌斉唱・黙祷といった国民儀礼が礼拝式に組み込まれた実態と、日曜学校生徒が傷痍軍人を見舞うという銃後奉仕活動の様子を伝える(発表資料
本史料は、1940年(昭和15年)11月10日に行われた皇紀二千六百年奉祝礼拝の週報と、式典実施を各教会に要請した文書(滝川資料)の2点である。週報には聖書朗読と説教の間に国歌斉唱が挿入されており、礼拝の中核部分への国民儀礼の侵入という、史料06・07よりさらに深刻な段階を示す記